蓮香寺

歴史沿革

貞治1367 開祖称蓮社名誉月秀善室上人により創建される
応永22年1415 第二世聖蓮社教誉慶学上人遷化
寛正1465 第三世信蓮社誠誉欣心上人遷化
永正14年1517 第四世本蓮社覚誉脱公上人遷化
天文12年1654 当山所有の長野市篠ノ井布施村の荒神堂に安置されている「子安荒神像」義清によって成る
天文19年1550 第五世玄蓮社勝誉終極上人遷化
永禄1561 当山所有の長野市篠ノ井東福寺の十王堂を建立する
天正1580 第六世勝蓮社超誉願公上人遷化
慶長1596 中興開基七世伝蓮社法誉知恵等上人により、現在の地に堂宇が再建される
慶長12年1607 中興開基七世伝蓮社法誉知恵等上人遷化
寛永1628 第八世養蓮社安誉廓道上人遷化
正保1646 第九世欣蓮社厭誉助給上人遷化
寛文1663 第十世浄蓮社清誉天冏上人遷化
延宝1677 第十一世雲蓮社寂誉電影上人遷化
宝永1705 第十二世信蓮社単誉是頓上人遷化
享保1719 第十三世浄蓮社清誉哲玄上人遷化
元文1736 第十四世衛蓮社航誉了義上人遷化
宝暦1754 第十五世懐蓮社廓誉玄了上人遷化
明和1767 本堂再々建される
寛政11年1799 第十六世維蓮社綱誉察玄上人遷化
文化1805 十王堂再建し、大法要を執行する
文政1822 第十七世専蓮社念誉隆玄上人遷化
文政1825 第十八世演蓮社吟誉崇山上人遷化
天保1834 第二十世誠蓮社厚誉感説上人遷化
嘉永1853 当山厨屋上棟披露
安政1855 住職隠居 極蓮社済誉仁説上人入寺披露
安政1859 芝原堂 当山支配に属する
万延1860 玄関新築なる
慶応1866 本堂屋根葺き替えをする
明治1875 第十九世極蓮社済誉仁説上人遷化
明治45年1912 第二十二世実蓮社禎誉学禅上人遷化
大正1920 第二十三世当蓮社哀誉悠詳上人遷化
大正15年1926 第二十四世勢蓮社至誉学誠上人遷化
昭和34年1959
  • 第二十六世恒蓮社精誉学順上人遷化
  • 第二十五世明蓮社俊誉学天上人遷化
  • 第二十七世大蓮社麟誉学真上人兼務住職に就任
  • 本堂屋根普請
昭和35年1960 本堂焼失
昭和39年1964 第二十八世香蓮社天誉誠順(元住職)住職就任
昭和42年1967 本堂再建新築落慶大法要執行
昭和45年1970
  • 寺報「光明」創刊号発刊
  • 子安山荒神堂(長野県重要文化財)屋根葺き替え落慶法要
昭和49年1974
  • 浄土宗開宗八百年記念総本山知恩院へ大参拝団(45人)
  • 当山に於いて浄土宗開宗八百年記念法要・開山堂落慶法要(稚児行列約200人参加)
  • 秋古薬師堂屋根葺き替え落慶法要
昭和50年1975 大香炉除幕式落慶法要
昭和52年1977 善光寺上人一条智光台下ご垂示当山本堂建立10周年記念法要
昭和54年1979 東福寺十王堂改築落慶法要
昭和55年1980
  • 第1回蓮香寺旅行会
  • 善導大師千三百御遠忌法要・本堂屋根葺き替え、玄関改修落慶法要
昭和56年1981
  • 「むらさき会」発足
  • 荒神堂二十四世伊東学斎表葬式。二十五世晋山式
昭和57年1982 宗教法人蓮香寺護持会発足
昭和59年1984 大香炉除幕・身代り観音開眼法要
昭和62年1987
  • 本堂建立20周年記念阿弥陀如来入仏開眼・浄土宗三上人御遠忌厳修
  • 寺報「光明」合本第一集発刊
昭和63年1988 写経会始まる(第1回76名参加)
平成1990
  • 荒神堂庫裏完成落慶法要
  • 当山授戒会(2日間)に73人が参加
平成1991 観音・勢至両菩薩開眼・第二十六世内室信義本葬儀
平成1993 第1回庭園植木手入れ講習会始まる
平成1995 蓮香寺イチョウ 長野市保存樹に指定される
平成1997
  • 住職が総本山知恩院から布教師に任ぜられる
  • 本堂建立30周年記念事業五重相伝会(147名受講)
  • 本堂増改築記念法要・善導、法然両大師仏像法要
  • 稚児行列(88人参加)
平成10年1998
  • 長野冬季オリンピックで、当山をドイツゲストハウスとして貸与
  • 浄土宗門主から感謝状を賜る(国際親善で尽力ということで)
  • 駐車場用地の取得
  • 墓地の造成「光明苑」
平成11年1999
  • ドイツ連邦共和国から功労勲章を受章
  • 住職が大本山増上寺の布教師に任ぜられる
平成13年2001
  • 鐘楼門改修・庫裏屋根葺き替え落慶法要厳修
  • 寺報「光明」合本第二集発刊

当山の縁起によると、南北朝時代の貞治6年(1367)、称蓮社名誉月秀善室上人によって川中島の西畑中に創建され、本尊には阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩の三体が安置されました。

その後、堂宇の老朽化もあり慶長元年(1596)に中興開基七世伝蓮社法誉知恵等上人によって、現在の地に再建されました。当山本堂の再建によって原村はだんだん集落が増え、現在の旧国道も改修され市街化していきました。その間、戦国時代には法燈を守るため何度か疎開しましたが、疎開中にも、永禄年間の川中島合戦に戦死された諸将の霊を弔うため長野市篠ノ井東福寺に「十王堂」を建立しています。

明和4年(1767)に本堂が再々建され、庫裡は弘化4年(1847)の善光寺大地震で倒壊しましたが、嘉永6年(1853)に再建され現在に至っています。

鐘楼門は、明治13年(1880)建立され、呑龍さんの縁日法要で賑わう開山堂は明治17年(1884)に建立されました。

昭和35年(1960)図らざる厄に遭い、大本堂が炎上焼失するに至りましたが、阿弥陀如来のご加護と、檀信徒の力強い協力によって昭和42年(1967)昔日をしのぐ大伽藍の落成を見たのであります。

この殿堂の護持発展のため、護持会の発足、寺報「光明」の発刊、写経会、旅行会、むらさき会、庭木手入れ講習会など数々の活動を行っています。
開山以来、六世紀余にわたって住職の代を重ねること二十八代、阿弥陀仏に帰依して、ただ一向に阿弥陀様の名号を称えながら、浄土の法燈を継いで現在に至っています。

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